tahoutou
たほうとう
多宝塔
寺宝の多宝塔は、正徳2年(1712年)古市村(現在の前橋市古市町)出身の黒崎喜平次の依頼により、江戸神田出身の鋳物師河合兵部によって製作され奉納されました。
総高140cmの金銅製で、非常に成功、精緻に作られており、内部には仏像6体と経文8巻が収められています。群馬県でも大変珍しいものとして、昭和48年(1973年)に前橋市指定重要文化財として指定されました。
多宝塔は、6年に一度(卯年と酉年)のご開帳となります。
daitokuji soumon
大德寺総門
江戸時代中期の正徳2年(1712年)に建立された単層の四脚門(本柱を中心に前後に控え柱を設けて計6本の柱で屋根を支える門形式)で屋根は切妻、金属板葺きの門です。
この門は、後家(現在の前橋市後家町)出身の名工田村八兵衛(俗称:後家の八兵衛 とても腕の良い宮大工として知られており、渋川市伊香保にある水沢寺の六角堂や前橋市箱田町にある観音堂、秩父市に鎮座する三峰神社社殿などを手掛けています。)が手掛けたもので、古建築物でとても均整の取れた美しい門として貴重なことから昭和39年(1964年)に前橋市指定重要文化財として指定されました。
総門正面から見て、左右に阿吽像があります。ご来訪の時は是非ご覧ください。
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傳教大師
神護景雲(じんごけいうん)元年(767年)8月18日近江国(おうみのくに)今の滋賀県に生まれ。幼名は「廣野(ひろの)」と呼びました。
14歳で国分寺において得度式(僧侶となる式)を行い始めて僧となり、「最澄(さいちょう)」と名乗りました。
22歳のとき、一乗止観院(いちじょうしかんいん)(今の根本中堂近く)を建てて、自作の薬師如来の尊像を霊木に刻まれ安置し、法燈をかかげて次の詩を詠みました。
「明けらけく のちの佛(ほとけ)の世までも
光ったえよ 法のともしび」
不滅の法燈は、1200年経っても今もなお比叡山根本中堂内陣に光輝いています。
延暦23年(804年)7月6日、38歳の時に中国に渡り、天台教学などを勉強し、1年足らずして帰り天台宗を開きました。日本佛教の開祖と言われています。
弘仁13年(822年)6月4日歿。56歳。のちに、朝廷は「最澄」に「傳教大師」という名を贈りました。
(塩入亮忠著より)
寺院内フォトギャラリー
寺院内には、四季に応じた花々が咲き誇るほか、市内とは思えないとても清閑な場所で、ゆっくりと時が過ぎてゆくひとときを楽しむことができます。









大徳寺でのお弔い
現在「少子高齢化」という言葉をよく耳にします。それにともなってのご相談を受けることが増えてきています。
これは仏教では、現世の人とご先祖様や故人との関係を深く結びつけて考えています。供養や日頃の行いを通じて互いに影響を与え合う関係にあるのです。供養は個人を安らかに導くだけでなく、生きている人の精神的な平安や家族との絆を深める重要な役割を果たします。
独りで考えるのではなく、私たちと共に考えていくことが大切だと思います。すでにご先祖様のお墓があり、それをお守りしているお家では、これからのことをご相談される方があります。新たに墓地を求めようという方もおられます。大徳寺では、お弔いについていつでもご相談をお待ちしております。
下記に当寺でのお弔いをご紹介いたします。ご心配ごとの一助になりますれば幸いです。
墓地の区画を求めて、石塔を建てる
お遺骨壺を『清浄土(しょうじょうど)』(合葬墓・骨壷)に納め故人の戒名を刻む
お遺骨を『三界萬霊(さんがいばんれい)』(合葬墓・散骨)に納める
寺院専用駐車場
地面は砕石のためごゆっくりとお車等をお止めください。